パニック速報

The next stage is paradise…

大阪に引っ越しました

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ごめん、パニ超には行けません。いま、大阪にいます。
この世の中をもっと便利にするシステムを私は作っています。
・・・本当は、あの頃が恋しいけれど、でも今はもう少しだけ、知らないふりをします。
私の作るこのシステムも、きっといつか誰かに幸せを届けるから。

大阪や関西の皆様、よろしくお願いします。
と言っても今年いっぱいの予定なので、コロナのせいで会えないかもしれませんね。
美味しいお店は教えてください。

以下時系列を追って説明。

遡ること10ヶ月前くらい。
12月上旬に昨年の査定の面談があった。
弊社の昇進発表は12月。

直属の上司はこう言った。
「チー牛君、君このままいけば来年チーフにしようと思うんだ。」

弊社の開発部は係長、課長などの役職が存在しない。
役職なし、チーフ、マネージャー、シニアマネージャーと上がっていく。

チーフは主任、係長と同程度の役職。
マネージャーは課長相当、シニアマネージャーは部長相当だ。

弊社は中途社員が多く、20代でのチーフは1人もいなかった。
私は驚愕の表情を見せた後すぐに頭を下げて「精進します!」と大きな声で返事をした。

時は進んで3月。

4月から9ヶ月かけてOJT研修を行ってきた新卒を1月から業務に入らせた。
新卒教育は2回目だ。
しかし今年は教育プログラムの大幅見直しもあって前回より大変だった。

それだけ手塩にかけて育てた新卒はかなり優秀だった。
自分の新卒の頃なんかより余程賢くプログラムを書くのも早かった。
プログラムを書くのが早く正確なのは別に自分の教育は関係なく、元からだったのだが。

3月にローンチする案件は無事終了。
4割程度の開発を新卒にお願いし、サポートも行ってきた。
上司からは「これからはチーム全体の開発力の向上を進めてほしい」と言われてきた。
自分が成果を上げるのは当たり前、自分のチームの成果を上げるために尽力した。

3月の次のローンチは6月末だった。

3月案件は4割程度の開発をお願いしていたが、6月案件は8割を新卒にお願いした。
しかも大事な処理ばかりを任せた。
3月の案件をこなした彼ならやってくれると信じた。

6月上旬。

開発も終わりテストが始まった。
6月末リリースで6月入ってからテストは正直遅かったが、
5月中旬から大手の顧客要望を対応していた自分がやっと6月案件に目を通せるのが6月からだった。

テストケースは若干の不具合を出しつつも順調に進んでいった。
システム開発をしない人からすると不具合が出るのは問題があるように聞こえると思うが、
結合テスト工程は不具合を出し切るために行うので、不具合が出るのは問題ない。

6月下旬。

自分より1年先に入社した先輩社員が新卒のソースをレビューしたときのことだった。

「こんなプログラムじゃローンチできませんよ。」

新卒のプログラムにケチを付けてきた。
まあ新卒が完璧なプログラムを書けるわけもなく、レビュー指摘箇所を直してもらえばいいと思った。

「摘箇所が多すぎて作り直したほうが早い。」

は?
今から作り直して間に合うわけない。
上司もさすがに同じことを思ったのか、「作り直すにしても問題ないソースは使いまわそう」と提案た。
しかし先輩社員は作り直すという意見は最後まで曲げず、結局作り直すことになった。

ちなみにソースレビューはこんなに遅くなったのも自分のせいだ。
3月は自分がソースレビューをしていたが、手が回らなくなり先輩社員へ依頼。
先輩社員も自分のメイン業務ではないので後回しになり、この時期となった。

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作り直しは自分のチームではなく、先輩社員のチームで行うことになった。

しかし、そのチームは最初から案件に関わっていたわけではないため、仕様の飲み込みが甘かった。
結果、製造バグではないが要件にそぐわない処理が多く出来上がってしまい、テスターから多くの不具合が上がった。
プログラマーは新卒ではないため、プログラムの質は確実に上がっていたのだが、今度は不具合が増えてしまった。

そんな状況を見かねた上司(課長)は苦渋の決断を下す。

ローンチ日の延期だ。

自社の他のチームでは1,2回ローンチ延期を見てきたが、自分のチーム、自分の担当システムでは1回も延期したことはなかった。
最悪の結末に自分を含めてチーム全員黙ってしまったが、頭の中では受け入れるしかないことは誰もが理解していることだった。

営業の課長、部長にお詫びの電話を入れる。
もちろん怒鳴ったり叱る人はいなかったが、全員揃って声は暗かった。

この日から本案件のPLはレビューした先輩社員となった。
上司から任命されたわけでもないし、本人が宣言や立候補をしたわけでもない。
しかし暗黙に彼がPLの立場にいることになった。

前述のソースレビューの日から自分と自分のチームは開発に携わっていなかった。
役割が委任されるのは当然だ。
7月初旬に延期された本案件に対して徐々にタスクがなくなっていた自分はやることがなくなった。
新卒を含む自分のチームはテスターとして本案件には関わっていた。

上司の19時~20時の予定には人事会議と入っていた。
その翌日、「もし転勤することになったら行けるか?」と一言連絡があった。
プロジェクトを炎上させた私には選択肢がなかった。

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7月上旬。

延期された案件は無事ローンチされた。
ローンチ後に上司に呼ばれた。

大阪支社への異動を正式に言い渡された。

このときの上司の話はあまり覚えていない。
私は入社以来ずっと同じシステムの担当だった。
他のチームのやり方や雰囲気も味わって学び直したらどうだろう。
みたいな内容を話していた気がする。

つまるところは左遷である。

新卒から歩んできた出世街道は外れてしまった。
チーフの話はとうの昔に聞かなくなっていた。

基本的に東京本社の人間が大阪支社に行くことはない。
左遷されるにしても別システムの担当になるくらいだ。
大阪支社は大阪支社で現地で採用を行っている。
ただ今回の事情は特別で、大阪のほうで急な退職が相次いだらしくその穴埋めのようだった。

コロナ禍で転勤はいかがなものか、という意見もシニアマネージャー同士の中であったようだが、
東京から大阪に行くのはたいして変わらないということでそのまま決定となったらしい。

期限付きで12月末まで。
ミッションは大阪の開発チームの中で12月のローンチを成功させること。
当然PLではなく、チームの1構成員だ。

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先日、大阪のチームのZoomで顔合わせをした。
みんな自分を歓迎してくれた。
リリース延期の報告は全社員に通知済みなので、この時期に大阪に来る事情は察してくれているようだ。

私は9月から慣れない土地で慣れない業務を行う。
挫折のない人生など味気ないものだ。
そう前向きに考えて、窓の外を眺めた。
この文章を書いている今は新幹線の中だ。

今日は荷解きもほどほどに、道頓堀でも散歩しようか。
新しい生活に想いを馳せ、三河安城を通過した。