パニック速報

The next stage is paradise…

コロナ就活3~大きな決断~

パナソニック内々定辞退した

vip-de-marika.hatenablog.jp

パナソニック行くって言ったけどやっぱやめるわw

もう一回就活やり直す

学校推薦だったから、返答期限が昨日までだった。

苦渋の決断、大きな決断だが辞退した。

今後40年を決めると思うと一つの決断が大きすぎる

一旦行く決意をしたあとにクーリング・オフの如く考えなおした経緯を書こうと思う。

自分の気持ちの整理である。

まず内々定をもらった後、自分の人生を真面目に考えた。(本当は自己分析の時点でしておくべきなのだが)

過去 生まれて23年間、家族というものを感じることが少ない人生だった。

家族は4人構成である。

父、母、弟、私。

小学生までは家族4人で住んでいた。

お父さんと新幹線を見に行ったり飛行機を見に行ったりするのが好きだった。

決して乗りはしないけど駅や空港から乗り物を見ているだけで幸せだった。

いつも弟(幼稚園児)、僕(小学4年生)、父

の3人で見に行ってたと思う。

僕はいつも乗り物を見ながら父に質問をしていた。

「飛行機ってスピード何キロなの?」

「この飛行機ってどこいくの?」

父はいつも本当かどうか分からない回答を僕に言っていた。

僕が中学生のとき父は単身赴任になった。

最初のころは2週に1回のペースで僕の家に帰ってきていた。

テレビを一緒に見たり、近くの焼き肉屋でご飯を食べていたりしていたと思う。

しかし徐々に仕事が忙しくなり、僕の家に帰ってくる機会も少なくなっていった。

それと同時に僕も反抗期に入っていった。

僕は事務的内容以外は父と話さなくなった。

そのまま高校生になった。

父は正月とお盆だけ帰ってきた。

僕が高校生になっても、父とは話せなかった。

なんで話せないかは分からない。

気恥ずかしさもあると思うし、中学生からずっと話してないと何を話せばいいか分からないというところもあったと思う。

高校3年生になると、僕は受験勉強に励んだ。

それと同時に弟とも母とも話さなくなった。

そのまま大学生になり、一人暮らしを始める。

そのころ、母とはかろうじて喋れるようになったが、父と弟とは話せないままだった。

僕は大学院生になる。 弟も大学生になった。 これを機に、話せないままいつの間にか

僕(京都)、父(東京)、弟(福岡)、母(岡山)

と全く離れ離れの生活となった。

結局、家族で仲良く話せないまま別々で暮らすようになったのである。

・ ・ ・

こういう経緯があるので、僕は本当に温かい家族を作っている人が羨ましい。

今の僕の夢は

「温かい家庭を作ること」 である。(自分が父となった家庭で)

これを実現するためには今の家族と同じ状況を作ってはならない。 単身赴任が嫌⇒転勤が嫌

つまり、転勤があるパナソニックで働くのが嫌。

ここで内々定辞退に至った。

色々な家族の在り方があると思う。

別居、転勤、単身赴任、離婚。

しかしこれだけは言える。

ずっと一緒に過ごしていく普通の家庭を作ることは難しい。